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2015年 06月 30日
![]() 家探しが煮詰まって来た中で見つけた本書。 そうそう、つまるところ、われわれにはどれだけの土地がいるのだ!?…と、初心に帰ってみるのである。 農夫のパホームは農夫であることに誇りを持っていたが、ある日、土地が借り物であることを義姉にバカにされ、自分の土地が欲しいと一念発起する。 「そうなんだよなあ。自分の土地だったら、もっとやりがいがあるのに。土地さえあれば、なんだってこわくない。悪魔だってこわくないさ」 悪魔がこっそり、それを聞いていたことを、パホームは知りませんでした。 チャンスはすぐにやってきて、パホームはお金をかき集め、借りている土地の倍の広さの土地を買う。借金が半分残ったが、働いて1年で借金を返す。さらに、パホームは広い土地を目指し、3倍の広さの土地を買い、暮らしは豊かになる。しかし、広い土地も慣れてくると物足りなくなり、そんなとき別の商人が耳よりの話を持ってくる。 ある村の村長が、パホームが1日かけて歩き回った土地を、町人のひと月分の賃金で売ってくれるという。パホームは、どんどん歩き、土地はどんどん広くなり、しかし、疲労がのしかかり足は重くなり、体中が痛む。日没まであとわずか、間に合わないかもしれないと不安になるが、パホームは力をふりしぼって走り出す。 やっと丘の上に戻ったとき、村長は腹を抱えて笑っていて、これまで土地を紹介してくれた農夫や商人に次々に姿を変える。悪魔だったのだ。パホームは力尽きてその場に倒れこみ、召使が抱き起したときには、すでに息はない。召使の男はパホームのために2メートルの墓穴をほり、パホームを葬った。人間、いかに広い土地を持とうとも、最後は2メートルの土地があればいい…というお話。 なるほど…。ひとり2ヘーベイとして、三人家族の我々に必要なのは6ヘーベイ…というのは、死んだあとの話であって、しかも3人6ヘーベイは土葬の場合だからして、火葬であれば6ヘーベイでも多い。家を買う前に墓を買うことはなくはないが、それはともかく、本書の「土地」とは居住用というよりはつまりは、「資産」のことである。資産をどれほど持とうとも、最後はどうせ小さい墓に入るのだと示唆しているお話なわけだが、広い土地を手に入れるために足を棒にして歩き回るパホームの姿が、家を探し求めてさまよっている自分たちの姿と重なってみえる。 が、本書のように広い土地=いい土地という発想はいっそシンプルで、情報が 複雑に錯綜し、選択肢が無限にあるように思われる現代、土地(物件)の価値は「広い=いい」と単純ではないから難しい。一般的にいいとされている駅近の物件でさえ、子育ての観点からすると「ごちゃごちゃしている」「環境が悪い」となって候補から外すことになったりするし、かといって、駅から遠い住宅地はなにか不安である。牛乳も買えない。 隣にある大きな空き家がいつか取り壊され新しい家が建つのか、それとも持ち主がもう亡くなっていて相続人もおらず、ずっとこのままなのか、すべての古家が建て替わって前の狭い道路がセットバックされるのは何年後なのか、あるいはそんな日は永遠に来ないのか、そもそも、いまは「買い」と言われているが本当にそうなのか!? 林立する高層マンションは数年後には中古物件が供給過多になるんじゃないのか、ギリシャの債務不履行の影響は…? など考えは多岐に渡る。それもこれも、家というのが住居のみならず資産だからである。しかも、その物件の価値はその物件自体の価値よりも、周辺環境に左右されることが大きく、難しいことに、周辺環境というのは自分の力の及ばないところなのだ。ある種、賭けである。博打に負けて後悔したくないのである。 ああ。家族3人、つつましくも楽しく暮らせる家が欲しいだけなのに、ウッドデッキのスカイバルコニーで桜を見ながらブレックファストをとりたいなんて贅沢は言っていないのに、最適な物件がないのである。「広い土地が欲しい」というごくシンプルな欲求がむしろ羨ましい。 ところで、より広い土地を得るために足を棒にして歩き回るのは、強欲なことなのだろうか? 共産主義的観点からすると、資本家になりたいというパホームの欲望が叩きのめされた話のように読めるが、資本主義的発想からすると、パホームの態度は「よくがんばった!」と褒められるべき態度な気もする。パホームは、限られた時間、限られた体力で、最大の土地を手に入れようとしただけなのだ。つまりは、限られた予算で最大の成果(パフォーマンスのよい物件)を上げようというここ最近の我々の苦悩は、実に資本主義的な苦悩と言わざるをえまい。強欲ゆえの苦悩と言えばそうとも言う。 家など雨露がしのげればいい、野良猫に軒先を差し出そう、わたしの家の前をどうぞゴミ置き場にしてください、なんて滅私の心境にいたったとき、ここに住もうと思う家に出会うのかもしれん。家を買うことは、心の広さを問われることにも等しいのだった。 写真は、叔父さんが作って送ってくれたという野菜。友人が車で持って来てくれた。下は、シドニーのオーガニックカフェで売っていた茹でインゲン(チップスを食べるよりヘルシー)を真似たもの。 それにしても、退職後には奥さんの田舎で農業をやりたいという話を、別の人からも聞いた。やはり、資本主義社会に疲れた人は、最後は野菜作りに行きつくのだろうか。いや、野菜作りだって油断ならない。作った野菜が余ると人に配るのにも限界が来て、そのうち売るようになる。やがて利益が出るようになって、ならばもっと作って売りたくなる。野菜を売るために、即売所に旗を立てる。野菜が盗まれないように防犯カメラを設置する。もっと作るために広い土地が欲しくなる。資本主義からの刷り込みからはなかなか逃れられんのである。 ![]() ![]() 人にはどれだけの土地がいるか
by ehonblog
| 2015-06-30 10:57
| 4歳
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